news

  • 【caqu】ジーンズを勉強する 

    今回のコラムはひたすらジーンズを知る!!ワードローブに何本もあるジーンズ。なくてはならないアイテムですが、実は奥がとても深く、歴史のあるアイテムなのです。前半のコラムはジーンズの歴史と作りからの歴史をご紹介します!

    *リーバイスとゴールドラッシュ

    1849年、サンフランシスコで金鉱が発見され、ゴールドラッシュが起こりました。日本は江戸時代末期、坂本龍馬はまだ子供で、黒船来航は1953年のことです。未開の地であったサンフランシスコに貧しい労働者がつめかけ、街ができ、生地商人のリーバイストラウスも移住してきました。 労働者達は激しい仕事で衣服はすぐに破れていまうので、貧しい彼らはいつも悩まされていました。

    *ジーンズ誕生

    その悩みを解消したのが、仕立て屋を営むヤコブデイビス。リーバイスから仕入れた幌布で作った作業スボンに、馬具用のリベットを打ち付けて評判を呼び、大当たり。 模倣品に悩んだヤコブは、リーバイスに出資させて特許を取り、ヤコブが工場長となって大量生産に乗り出します。

    *ジーンズとファッション

    ジーンズは労働者階級の衣服で、ファッションとは無縁の存在でした。1950年代の映画、マーロンブランドが「乱暴者」、ジェームスディーンが「理由なき反抗」で裕福な家庭に育った若者がジーンズを穿いて登場し、世の中への反抗の象徴として、不良たちのマストアイテムになります。70年代のヒッピーでは、「Love & Peace」のスローガンのもと、反体制・反階級のシンボルとしてジーンズが着用され、ベルボトムなどシルエットも充実して、ファッションアイテムとして若者に広く定着します。カルバンクラインやラルフローレンなどからコレクションジーンズが発表されるようになると、年齢や階級を問わず、立派なファッションアイテムとしての地位を確立してゆきました。

    *日本のジーンズ史

    1963年の生地輸入自由化に合わせ、デニムを生産できない日本ではジーンズ生産の気運が高まっていました。日本で最初にジーンズを製造したのは、1962年、大石貿易社長の大石哲夫が、アメリカで買い付けた生地や専用ミシンを群馬県伊勢崎市の渡辺縫製に入れ、縫製したのが最初とされています。(諸説あり)同年、「CANTON」ブランドで国産初のジーンズを発売し、爆発的に売れて全国区となります。岡山地区は元々は学生服の産地でしたが、核家族化で子供が減っており、次のビジネスを探していました。ジーンズ縫製は学生服用の極厚物のミシンがそのまま転用できたので、CANTONやBIG JHONの成功を見た同地区発のブランドが爆発的に増え、ジーンズ産地に変貌しました。

    *ジーンズとウオッシュ加工

    世界で初めて生(未加工)ジーンズを洗って、新品として販売したのはCANTONです。日本でジーンズが広まったのは第二次大戦後で、米軍払い下げの中古品で、日本人は生など見たこともありません。欧米では新品=生が普通でしたが、日本人にとっては中古の色褪せた柔らかいものがジーンズだったのです。CANTONは日本で縫製した新品のため、欧米同様、生で販売しましたが、そんな訳で全く売れませんでした。在庫の山に悩んだ末、洗濯機で洗ってから販売したところ、起死回生、爆発的に売れ始めたのです。こうして日本では、よりリアルな中古感を追求する歴史がはじまり、ストーンウオッシュやヒゲ加工を開発し、洗ったジーンズが世界のスタンダードとなり、加工技術の高さは今も世界の最先端を走っているのです。

    ※リーバイス501を知ってジーンズを知る

    初期の501は「男の作業着」ですから、丈夫で安くなければ売れません。コストダウンのために、効率的に生産できるよう縫いやすく、生地を1cmでも減らす努力を積み重ねた結果が、5ポケットのデザインになりました。5ポケットにはファッションを意識したディテールなど何ひとつありません。ただただ、「合理化」「丈夫」を追求しているのです。

    と、ここまではジーンズの誕生と歴史、現代へどのようにジーンズが進化してきたかを、お話いたしました。後半はその歴史を再現すべくヴィンテージにこだわる’caqu’のジーンズをご紹介していきます。